樹海から富士山を夢見て

生化学を学んでいる大学院生です。研究生活の日々で感じたことを記します。

教育することは難しい

最近、後続の人達を教育することは難しいと考えさせられることがあった。

当たり前だけど、教育方法はたくさんある。そしてどの方法が良いかは、教育される側の性格に依存すると思う。例えば人から支持されることよりも自分で考えることを好む人なら、ある程度難しい課題を与えて放任すればメキメキと伸びるだろう。0を1にするのは苦手でも1を10にするのが得意な人には、小刻みな課題を与えるのが良いだろう。ストレス耐性の無い人には、丁寧に教えるのが良いだろう。

良い先生の条件は、教えられる側がどんな人かを見極めて柔軟に対応できることなのかなと思った。これはとても難しいことで、大体の先生は自分の生きてきた道を生徒側に強要してしまう。


とここまで書いたけれど、上で書いた、人に合わせた教育のいくつかの例も、やりやすいその場しのぎの教育なのかもしれない。もしかしたら、苦手なことをあえてバンバンやらせた方が学生もよく伸びるの?

でも、この場合も学生の苦手なことを見極めることとそのさじ加減が重要になるよね。


また、研究現場を見ていると、成果第一であり学生の教育なんかどうでもいい、みたいな人もいる。それが彼らの人生なら文句を挟めない、学生側はそんな人に当たらないように頑張るしかない、というのが正しいのかな?


難しい。自分もよくわからない。だからこそ、みんながいい先生とは限らない。完璧な先生に出会うことを待ってたら一生が終わるかもしれない。

ここまでつらつらと書いといて何だが、一番大事なのは、学生側の、日常や現状から学べることを見つけるというアンテナの広さだと思う。

研究は山登りに似てる

目の前に道が三本あるとする。あなたは、進む道を決める際に、何を重視するか?


仮説立案、実験、考察、仮説立案、実験、…

上記が、研究を進めてく際の基本的な流れだと思う。この研究の過程の中で、道の分岐点に遭遇することが何度もある。


僕は研究は山登りに例えられると思っている。研究のゴールが山頂。自分は今麓にいる。さて、どの山に登ろうか。大きな山、低い山。山を決めたら、そっちに向かって歩く。しかし、崖に遭遇した、引き返して、他の道に進む。また分かれ道がある。こっちの道が近道に見えて、あっちの道はいばらの中に突っ込んでて先が見えない。どっちに行くか…


研究なら、まずは近道の方に進むだろう。いやそれでいいんだけど、僕はなんか面白くないと感じる。いばらの道に進んで、予想外のいい結果が出て当初の予想よりも高い山に登れたら、これほど楽しくて脳汁が沸き出ることはないと思う。これは、研究は分からないことを追い求めるという性質から来る、醍醐味だと思う。(もしくは、いばらの道の方が当初の山頂への正しい道でしたということもある。)


いばらの道に進んでも、大体は行き止まりだけどね(笑)。だから僕は、常に近道と脇道の両方の実験をする。というか、どこに脇道があるか探すことに僕はいつも注力している。


そのため、教授と今後の方針を議論すると、バトルになることが多い。でも、脇道から今は頂上に近いとこまで来れてて、うれしい。


今後も「いかにうまく脇道に逸れるか」を大事にして研究していきたい。

伝えること

伝えることは難しいことだと思った。


先日学校で修論中間発表があった。学生が一堂に会し、お互いにポスター発表した。

うちの学科は分野が多岐に渡る。そのため、基礎的でわかりやすい説明が求められる。とても難しかった。

自分の研究を日常でイメージできるように落とし込むような説明がいいのだろうか?○○は体の中でどう役立ってるとか、病気の原因とか、私達の体はとても巧妙にできてます!とか?

専門的に喋ろうとするのは簡単で、わかりやすく喋るのは難しい。


言い訳だけれど、自分の研究は基礎研究。薬作るとかロボット作るとか言ってる人たちが評価されてた。面白いと思わせるって、どうすればいいんだろう?

今後

やっぱり、自分の中のドクター課程に進みたい気持ちがうずうずしてる。そして、就職だろうと進学だろうと、どんなに悩んでも完璧に納得できる決断はできないと思った。なぜなら、ドクター進学は、ハイリスクハイリターンで、その結論が出るのは3年後だから。

いかなる結論が出ようと後悔が無い(少ない)と思うようになるなら良いのだろう…


20代という貴重な3年間を、「将来への投資」としてラボで過ごすのは、なかなか感情が厳しいよな〜〜


しかし、今の研究がなかなか軌道に乗っていて、もう未練タラタラ…


ああ…永遠に結論なんて出ないだろうし、何ならおじいさんになっても結論は出ないだろうとさえ思ってしまう。


博士課程に行くべきか?

博士課程に行くべきか、ずっと悩んでいる。


私の今の目標は、製薬企業の研究者となること。


企業によって、採用において博士重視や研究分野重視とか、あるいは採用後に博士を重宝するかしないか、とかはあるでしょう。それは調べなければならないけど、置いといて。



まず、1点目として重要であることは、修士卒と博士卒で、どちらが製薬に就職出来る確率が高いのか?ということだろう。


製薬に就職できる確率が変わってくる、ということに対しては、私は懐疑的である。つまり、博士課程に進んだからといって、製薬に就職できる確率は上がらないのではないかと感じている。

なぜなら、何歳になろうが自分の本質はそこまで変わらないだろうと思っているから。研究は頭の中で行うものだけれど、自分の思考回路の根本が劇的に成長することはないと思う。少なくとも僕の思考回路は、多分小学生くらいからあまり変わっていない。虫とか機械とか未知のものに好奇心が強くて、それでとことん調べて、(人と違う)何かを発見するのが好きだった。今まで結構ストイックに色々な環境に身を置いてきたつもりだけど、結局今も僕はそんな感じ。博士課程に進んで得られる思考回路といっても、枝葉の経験とか知識とかが多いんじゃないのかな?そういった枝葉の成長うんぬんがあったとして、それが面接で表に出てくるのかな?


今いる研究室はとても居心地が良い。先生は僕のことをある程度信頼してくれて、好きなことをさせてくれる。今のテーマにもそれなりの愛着がある。今の研究成果を使って博士の卒業要件は満たせそうだし、もしかしたらさらに1、2本の論文も書けるかもしれない。博士という学位をとるならば、最適の環境である。

しかし、である。ラボの規模、資金力で見劣りしてしまう。今後経験できることも、ある程度算段がついてしまう。大きな成長はあるのかな?もしくは、1年間留学とかに行けば良いのかもしれない。


では逆に、どうしたら製薬に就職できる確率は上がるのだろうか?

それはおそらく、環境を抜本的に変えることなのではないだろうか。前述の思考回路の根本を変えるためには、国とかラボの規模とかが全く違う環境に身をおいたら良いのではないか。圧倒的な資金力や技術力を前にすれば、研究者としての考え方も変わってきそう。そうしたら、大きな成長ができるかもしれない。



2点目に重要なことは、博士の学位を持っていた方が、就職後に活躍する機会が多いのか?ということだろう。

企業によるだろうけれど、これは正しいと思う。特に海外の研究者とやりとりするならば、学位はとても重要だと思う。



以上より、道は二つに絞られたと思う。

①修士卒で就職する。

②博士課程で他のラボに行く。


そして僕は、多分活躍とかにはあまり興味がない。今の生活投げ打ってまで、異国での成長を期待する覚悟が今はできていない。だから博士で海外の大学に行きたいとも思わない。かといって今のラボにいても、圧倒的成長はないだろう。

だから、製薬に行けるかは分からないけれど、修士卒で審判を仰ごうかなと今は思っている。


(と思うと同時に、一度きりの人生なんだから、強い道を選んでみても良いのではないか、とも思ってしまう…)

 

学部4年〜修士にかけて、研究テーマ立案、実験構築、学会発表、論文作成の一連のプロセスを経験できたことは、とても良い成長機会だったし、先生には感謝しなければいけない。しかし、いずれにせよ、心を鬼にしてこの居心地の良い環境から抜け出すべきなのかもしれない…


学会 その2

また学会に行ってきました。ポスター発表です。


自分の発表に関して。今回は自分の専門分野に近いこともあり、また討論時間も長く設定されていたこともあり、とても有意義な時間を過ごせました。詳しい先生方がディスカッションに来てくれて、ありがたかった。


親身に色々教えてくれる方。

これから研究しようとして勉強のために来る方。

大御所。緊張した。

競合相手ぽい人。感じ悪かったけど、しょうがないよな。これも緊張した。

色んな人がいました。


自分としてはやっとの思いで出したデータだけれども、教授にしてみればそんなこと関係なく、なんかまとまりのないデータだな、と思われるだけだった。と実感しつつも、第一線の方と議論できるのはとても良い機会でした。

また、例のライバルっぽい人のポスター発表にも聞きに行って質問したけれど、これがもうめちゃくちゃ緊張しました。下手に喧嘩売ってデータをパクられたらどうしようとか。

セッションにも頑張って足を運んだ。最新のセッションを聞けば則ち、過去の未解明の謎についても知ることができるし、とても効率が良いです。しかし、もうすぐ就活なのかなと思うと、この勉強は無駄なのかもしれないと思い、虚しくなりました。研究室の同期や先輩は余り研究のやる気がないようで、研究室でぬくぬくしてたようだ…何が正しいのか僕には分からない。

とはいえ、この分野の勉強は楽しい。今後もこの道に携わっていたいなと願います。