樹海から富士山を夢見て

生化学を学んでいる大学院生です。研究生活の日々で感じたことを記します。

未来が開けますように

私は「がん治療法の研究」を行っている研究室に在籍している。

がんを治したい。そう思って研究室に入った。
しかし、最近どうもその初心を忘れかけているような気がした。

自分の興味と出世欲に任せてしまっていることに気づいたのだ。

以前病院を見学させて頂いたときのあの気持ちは忘れてはならない。

人のためになる研究をできるように!!改めて心に刻もう。
そして、困難にいる方の未来が開けるよう、少しでも貢献したい。



論文の質

ぼちぼち見る論文のスタイル。

何かのタンパクをvitroなりvivoなりでノックアウトして、ひたすらその効果を追うやつ。

酵素活性が落ちましたとか、胎生致死でしたとか。


それ当たり前の結果だろーー


…何が面白いんだろう?


まだまだ駆け出しの私にはよく分からない。


でも、自分の研究対象に入ってるタンパク質についてだと、参考になるし本当にありがたい。笑

それがこういう論文の価値なのかな。

卒論発表なるもの

今は卒論発表の1週間前。


卒論発表というものは、世間では何らかの集大成のように扱われる。一体、大学の四年間ごときで集大成となるものなんてあるのだろうか。茶番だろう。


生意気なことを言っているが、私の卒論発表も茶番である。どんなにうまい発表だろうが、クソ発表だろうが、学位はもらえるらしい。そんな発表に向けて、今は汗を流している。滑稽なことだな。


昨年春に研究室に所属して、研究テーマをもらった。というより(無謀にも)自分で決めた。それから、かなりの論文を読み、いくつもの仮説を立ててはそれらは潰れていった。ひとつだけ当たりがあって、今はそれを深く追い求めようとしている。

しかし、論文なんて星の数ほどある。僕がたまたま見つけそびれた論文が、僕と同じような研究をしているかもしれない。

さらには、学部四年生が思いつく仮説なんて、どっかの研究者が試してるんじゃないのかな。今日も先生に、鋭い指摘を受けた。今までほとんど、自分一人で研究をデザインしてきたのに。私より何十倍も頭良くて、研究者になりたい!なんて、まだ口が裂けても言えないと思った。

謙虚にならないと。


さて、卒論発表こそ始まりだと思っている。修士に進んだら、なんとか実を結ばせたい。