樹海から富士山を夢見て

生化学を学んでいる大学院生です。研究生活の日々で感じたことを記します。

教育することは難しい

最近、後続の人達を教育することは難しいと考えさせられることがあった。

当たり前だけど、教育方法はたくさんある。そしてどの方法が良いかは、教育される側の性格に依存すると思う。例えば人から支持されることよりも自分で考えることを好む人なら、ある程度難しい課題を与えて放任すればメキメキと伸びるだろう。0を1にするのは苦手でも1を10にするのが得意な人には、小刻みな課題を与えるのが良いだろう。ストレス耐性の無い人には、丁寧に教えるのが良いだろう。

良い先生の条件は、教えられる側がどんな人かを見極めて柔軟に対応できることなのかなと思った。これはとても難しいことで、大体の先生は自分の生きてきた道を生徒側に強要してしまう。


とここまで書いたけれど、上で書いた、人に合わせた教育のいくつかの例も、やりやすいその場しのぎの教育なのかもしれない。もしかしたら、苦手なことをあえてバンバンやらせた方が学生もよく伸びるの?

でも、この場合も学生の苦手なことを見極めることとそのさじ加減が重要になるよね。


また、研究現場を見ていると、成果第一であり学生の教育なんかどうでもいい、みたいな人もいる。それが彼らの人生なら文句を挟めない、学生側はそんな人に当たらないように頑張るしかない、というのが正しいのかな?


難しい。自分もよくわからない。だからこそ、みんながいい先生とは限らない。完璧な先生に出会うことを待ってたら一生が終わるかもしれない。

ここまでつらつらと書いといて何だが、一番大事なのは、学生側の、日常や現状から学べることを見つけるというアンテナの広さだと思う。