日本癌学会
10月6〜8日にパシフィコ横浜で行われた、日本癌学会に参加してきました。ポスター発表もしました。
とても大きな学会で、色んな人がいた。。ものすごい業績を持った大御所、ゴニョゴニョ語る若めな研究者、斬新な研究をしている研究者、おじいちゃん研究者。みんな研究で一泡吹かせようと、夜は人脈を築こうと?頑張っている。
そんな中に初めての学会となった駆け出しは、まったく時流に取り残されている感じがしました。当たり前のことだけれども、世の中は大変だということですね。自分は少し頑張ってる気になってしまっていたことを反省しなければならない。
ポスター発表をして最も印象に残っていることは、自分は癌を本気で研究してきたわけではないと感じたことです。幸せなことに数人の研究者とディスカッションできたけれど、多段階癌の様なモデルを使ったらどうか、正常に対して遺伝子操作すれば発癌に関わっているのか分かるのではないか、ワールブルグ効果に関わっているのか、など指摘されました。僕は生化学的なメカニズムにばかり興味があったけれど、癌研究のことは何も分かっていないということを突きつけられたような気がします。内容を少し褒めて頂けたのは嬉しかったな・・・と、今後の自分の励みにしたい。
べつに癌研究したいとか、生化学の研究したいとか、そういうことはまだあやふやだけれども、今後の進路を含めよく考えていかないといけませんね。
vivoなどの色んなモデルを使ってる人ばかりで、その点は羨ましかった・・・
大隅先生 会見まとめ
ノーベル医学生理学賞を受賞された大隅良典先生の、受賞記者会見に参加してきた。
若い時にこのような世界を垣間見ることがてきたのは、とても貴重な経験だった。
以下まとめ。
宇宙と芸術展 感想
先日、森美術館でやっている、宇宙と芸術展に行った。ネタバレあり
とても面白かった。
内容は、「宇宙観」を切り口に、宗教、科学、芸術の進歩を辿るような感じ。
かつては「宇宙」なんて概念はなかっただろうけど、空の向こうに想いを馳せる昔の人々の様子が感じられる。
その後、望遠鏡の発明、地動説の展開を経て、現在の科学の発展が描かれ、将来の可能性が科学と芸術の観点から展示されている。
例えば、竹取物語から昔の人々の思想を想像し、クライマックスで、かぐや姫は宇宙人だったのか?という問題提起につながっていく。
この展覧を通して、科学、宗教、芸術の過去から昔への絡み方を感じることができて、これは今までの自分に無い考え方で面白かった。
今も昔も、人々は宇宙というものを様々な形で捉えようとしてきたようだ。
昔は科学が発展していなかったからといって人間は馬鹿ではなく、その分「神聖な神」のようなものを創造することで「宇宙なるもの」を説明しようとしてきた。
その後に登場する科学者達が、固定観念を打破して現在の宇宙観を作り上げた。
一方で芸術家達は、感性をもとに将来の可能性を提示する。
科学、宗教、芸術は互いに絡み合ってきたことが伺えた。
これらのことは、人間は考える生き物で、それは今も昔も変わらないということを示唆しているのだと思う。
知の蓄積があるだけで、今も昔も、きっと未来も、同じ人。
現在に生まれてきたことは幸運なのか?未来の人に聞きたい。
研究室という狭い空間
研究室は、物理的にも社会的にも、とても狭い場所だと思います。
10数人のコミュニティーで、日々実験やディスカッションに励む。
研究室に所属している以上、その至上命題は、研究で成果を出すということですね。
そして、研究室には教授がいて、彼/彼女を頂点にした人間関係が構築される。
しかし、世の中全体から見れば、これはすごくちっぽけなことだということを、忘れてしまうことも多いのではないでしょうか?
大事なのは研究室内で一番になることではない。異分野の人には、自分の研究が面白いと言ってもらえるか?学会に出れば、新奇な発見をしてる人なんていくらでもいるのでは?
大事なのは研究成果ではない。成果を出すことだけを良しとせず、就活なり、趣味なり、多様な暮らしを認めよう。
大事なのはボスのイエスマンになることではない。実験するのは自分だ、データに自分の知的好奇心を表現するべきだ。
はたまた、一歩外に出れば、ボスが間違っているんだ、自分が洗脳されてるんだと気づくこともあるかもしれない。
自戒を込めて。
そして、苦しさに悩んでる人は外に目を向けるべきです。
初面接の感想、反省
とあるインターンの面接を受けてきた。
自分が会社の面接を受けるのは初めての機会で、勉強になった。
業種は、経営コンサルティング。
形式は3人のグループ面接。
各自1分で自己PRをする。
さらに隣の人が、その自己PRをまとめる。
自分のPRや、隣の人のまとめは、ぼちぼちできた。良くも悪くも、自分はこんなもんなんだって思った。ここは、これからも磨かなければ。
第一の反省点は、他人からの質問の受け答えについて。質問きて、ダラダラと答えてしまい、着地点を失った。
最初に明確な答えを言ってから、理由を述べたほうが良いと思った。
第二の反省点は、他人への興味が薄すぎたこと。
他の人が留学の話とかしてて、僕の感想は「すごいけど、どうでもいい」
そんなこと思ってると、皆発言しだして、自分は乗り遅れた。
基本的なことだけど、こんなんじゃダメだろう。
第三の反省点は、そもそもコンサルを知らなすぎたこと。
いよいよ基本的すぎる笑
逆質問、的外れだったかなー
以上。後で自分で読み返すために書いた。
今後のためになる、良い機会でした。面接呼んでくれたことに感謝。
修士1年前半の近況
最近とても忙しい日々を過ごしている。
①研究
最近なかなか実験できていない。なぜなら、後述の色々のために実験する時間がないから。僕は、面白い論文を読みながら、斬新なアイデアを考えながら、好奇心に従って実験するのが好き。今はチビチビど実験を進めるだけで、つまらない。
とはいうものの、研究としてまとまった結果が出てきているので、論文を書くことになった。必死こいて頭使って、教授にテーマをなんとか提案して、頑張って実験してきた成果を文字にできるのはとても嬉しい。
②論文執筆
そういうわけで論文を書いている。所属してる研究室では、教育のため?に学生に論文を書かせてくれる。大変だけど、ありがたいことだ。
論文書きというのは本当に奥深いなと思ってる。ただのグラフやデータ達も、すばらしい論理構築の上で輝く。そしてすばらしい英語表現も大事。調子のっててリジェクトされたらみっともないぞ、、、
③授業
大学院に進むと、授業なるものが課される。僕は面白い授業を優先的に取る。それでも面白い授業とつまらない授業の割合は2:8くらい。一方で、つまらなくても単位を取りやすい授業を取るような謎学生は、一体何なんだろう。
④B4の教育
M1の使命である。去年は自分が教育してもらい、とても感謝してるので、自分もしっかりとB4を教育したい。
⑤インターンの選考
これまたM1になると降りかかってくる。どうやらこの世にはインターンとかいう、企業が優秀な学生を引き抜くイベントがあるらしい。要は就活と同じで、なんだかESとか適性検査とかに取り組んでる。ただ、そろそろ飽きた。
今取り組んでることはどれも大事だと思う。半年後が楽しみ。
データをどう解釈するか
ネット上には、今や様々な記事があふれている。
しかし、腑に落ちないことが多々ある。
好ましいデータだけを集めて解釈するという、恣意的な記事が目につくのだ。
そのような記事は、編集者の、多くは勉強不足による、または感情的な、バイアスによって構成される。
これらの主張は真実ではない。
そして読者を誘導するものでしかない。
はじめに結論を立て、それに沿ったデータを集めてくるのかな。つまり、帰納的。
これを無意識にやってるなら、ダメだろう。意識的にやってるなら、ある種の文章の上手さかもしれないと思う。
データに考察を加えるのであれば、演繹的であるべきだ。データの正確な解釈によってのみ、真実にたどり着けると思う。
ネットの普及によって記者気取りの人が増えて、杜撰な記事が目につくようになったのかもしれない。
さて、自分の実験データは演繹的な解釈ができているかな…?